体罰は全然アリ。それでも全面禁止にすべき理由
みなさん、こんにちは。 きっしーです。
ポカポカ陽気ですね。GWは天気いいんですかね。
よくなるといいですね。
先日、こんな記事を目にしました。
書き手が法律事務所の人なので、あえてスタンスをとって主張しているのだと思いますが、この記事を読んだ後、なんだかモヤモヤしたものが心に残りました。
「この"モヤモヤ"の正体はなんだろう」と思い、改めて体罰問題について思考を巡らせてみることにしました。
ちなみに、上のブログに以下のことが書かれている。
教師の体罰を正当業務行為として適法化する根拠は、日本には存在しない。学校教育法11条は、「体罰を加えることはできない」と明記して禁止している。
ここに書いてある通り、前提として体罰は法律上禁止されています。
ただ、現状起きてる問題に対して、法律云々言っても本質的ではないので、よりリアルな視点から考えてみたいと思います。
「生徒による現行犯逮捕」が本質的な解決策でない理由
この対応は、
- 警察に頼るダサさ
- 周りからの見られ方
- さらなる体罰を招きかねないリスク
の3つの観点から本質的な解決策になっていません。
警察に頼るダサさ
1つ目の理由は、そもそも体罰の対象になりやすい、思春期の男子中高生は、その選択肢は本能的にとりたがらないよ、という話。
思春期の男子中高生からしてみれば、"逮捕してもらう"=警察に頼るなんてのは、ちょっとカッコ悪いとさえ感じてしまいます。
「逮捕します」
なんて言ってすぐ警察に頼るのは、ふつーにダサいです。
思春期の男子中高生は、大人や同じクラスの女子が思うより、周りの人間の言動や態度に敏感で、センシティブな生き物です。
きっと、
「もっと上手く状況切り抜ける方法あるのになー」
「ちょっと頭使えば、スカッとしつつ逃れられるのに」
と思われて、"機転が利かないダサいやつだ"と思われるでしょう。
周りからの見られ方
上の記事では、体罰への対応として、「生徒による現行犯逮捕」が最も有効的だと述べています。
でも、そんなことしたら、確実に周りから"ヤバいやつ"だと思われるよ。
ごくわずかなくそ理不尽な状況を除いて、少なからず自分が怒られるようなことをしたのにも関わらず、
「逮捕します」
なんてことを口走ったら、大多数のクラスメートから"すぐ逮捕とか言い出すヤバいやつ"だというレッテルを貼られて、その後仮に教師が逮捕されたとて、クラスメートからは壁を作られ、学校にいづらくなることは間違いないです。
まあ、少なくとも、ぼくは"ヤバいやつ"だと思うし、壁も作ります。
悪いことしたとは言え、殴られたり蹴られたらイラつくし、暴力を振るう教師を痛い目に遭わせたい気持ちもすごくわかります。
ただ、多分その教師に痛い目を遭わせること以上に、あなたが(精神的に)痛い目に遭うことになります。
さらなる体罰を招きかねないリスク
最後の理由は、もうちょっと深刻な、かつ一番起こる可能性の高いリスクについてです。
すごく冷静に、オペレーショナルに体罰を振る教師もたまにいますが(僕の担任はそうでした)、こんなご時世でさえも体罰を振るうってことは、教師もかなり感情的になり、理性とかはあんまりない状態になっています。
教えるプロフェッショナルであり、20-30年くらいは自分たちより、人生経験があるはずの教師さえも、感情的にさせてしまう状況において、
「逮捕します」
なんてことを生徒が口走った際には、さらに教師が逆上し、さらなる体罰を助長しかねないのです。
先生も人なので、理不尽なことをした人から、理不尽なことを言われれば、イラつくものです。実際そうして逆上した教師を何人も見てきました。
殴られてちょっとアザができるくらいならまだしも、もっと精神的/肉体的に深刻なダメージを受けるのを防ぐためにも、言わないのが策です。
特に2つ目と3つ目において大切なのは、「現行犯逮捕」という手段が正しいか正しくないかではなく、起きてる現場が"一定期間は在籍する学校"である以上、その手段をとった際の、リスクや副次的影響もちゃんと考えないといけないという点です。
電車内での痴漢とかとはちょっと課題の性質が違います。
絶対にダメな体罰
ただ、「現行犯逮捕」という強行手段さえも用いるべき場面もあります。
それは、体もしくは心に、長い間深い傷が残ってしまうような体罰をされた場合です。
そういう時は、「現行犯逮捕」という僕らが持つ最後の切り札を使いましょう。
また、そういう時は、クラスの空気もガラッと、
「これはさすがにヤバい・・・」
といった空気になります。
こういう場面では、当事者でも部外者でも、誰かが声を上げる勇気を持つしかありません。
こうならないための対策は数あまたあるものの、もはやこの場面に適した際は、対策もくそもなく、誰かが声を上げるしかないです。
僕は全然アリだと思う
ここまで、体罰にあった際の対策について考えてきましたが。
「そもそも、お前は体罰反対なのか、賛成なのか」答えたいと思います。
僕は体罰は全然アリだと思っています。
理由は以下の3点。
とても感情的で、個人的なバックグラウンドの依存します。
僕自身体罰にあうことで、成長してきたから
僕自身、中高6年間男子校でした。また小学校から私立で、教育方法は比較的自由でした。
どの程度を体罰というのかよくわかりませんが、小学校高学年の頃から、殴ったりつねられたりはふつーでしたし、中高では毎日誰かしらが、何かしらの理由で、ボコられてるのを目にしていました。
僕もたまにボコられてました。
ただ、僕は社会のルールとか、マナーとかを全く知らないくそガキだったので、殴られることで、少しずつそういう部分を理解するようになりました。
先生への口の利き方とか、授業中の態度とか、服装とか校内マナーとか、殴られることで、社会において大丈夫なことと、やばいこととのボーダーラインが、少しずつ自分の中で築かれていくのです。
まあもちろん殴られずに、自分で学んでいくに越したことはないのですが、僕はバカだったので、先生からのグーパンで学んでいきましたし、その経験が今の自分を形作っていると思います。
暴力は"怒りの度合い"を端的に表す方法だから
思春期のほとんどの男子中高生は、授業も、先生の言うことも、聞きたがりません。
まあ、そんなもんです。
そんな何を言っても聞かない生徒たちに、暴力は"怒りの度合い"を実にわかりやすく、リアルに伝えられる、非常に有効な方法です。
もちろん、これは教師-生徒間、もしくは親-子供の関係のみで働くロジックです。
(当たり前ですがDVとかはよくないですよ)
自分たちよりも知識も経験も何倍もあり、普段は実に理性的で立派な大人が、暴力という、最も非理性的で、感情的な行動に出ることで、
「あ、これはさすがにヤバいんだな」
と伝えることができます。
思春期の男子中高生はバカなので、そういう線引きがバカになってしまうことが、時々あります。
そんな時に、暴力は有効なのです。
多分世の中は体罰より理不尽なことだらけだから
この理由が一番理不尽そうで、僕にとっては、一番腹落ちする理由です。
なんだかんだいろんな理由がありながらも、たとえそこに愛があったとしても、家族でもない教師に暴力を振られるなんて、理不尽な感じもしますよね。
ただ、世の中はもっと理不尽なことだらけなんだろうなと思っています。
社会に出たら、きっと愛すらない、もっと理不尽な仕打ち(暴力とは限りませんが)が待っていて、それを耐え、生き抜くための力をつけているんだと思うようになりました。
そんな、行き場のない理不尽さに出会ったとしても、
「あの時、こんな理不尽な理由で、あの先生に殴られたしな、、」
と思うことで、その行き場のない気持ちを、心のすきまにしまっておくことができるのです。
それでも全面禁止にすべき理由
ここまで僕は、(特定の状況下を除き)体罰を肯定してきました。
それでも、僕は体罰を全面的に禁止し、もっともっと取り締まりを厳しくするべきだと思っています。
この主張に至った背景を、体罰という課題を紐解きながら、考えていきたいと思います。
課題はどこにあるのか
体罰を受けた生徒のリアクションは以下の3つに分かれます。
- 過度な体罰を受け、肉体的/精神的に深い傷を負ってしまう
- 肉体的な傷はたいしたことないが、過度の体罰に拒絶反応を示してしまい、精神的に深い傷を負ってしまう
- 受けた瞬間のイライラや理不尽さは感じるが、肉体的にも精神的にも、問題ない
現状の体罰問題が抱える課題は、この3種類のリアクションを同質に捉えてしまい、教育委員会などの学校を監視する機関が、正確に状況を把握しづらい、ということです。
体罰の状況が正確に把握できない以上は、効果的な対応策を考えることはできませんし、極端な対策しか練ることができないのは当然です。
なので、3タイプのリアクションを正確に把握/区別できるような、システムを構築することが大切です。
全面禁止にすることで防げるもの
ここで僕の掲げる体罰全面禁止案がでてきます。
体罰を全面に禁止することで、まずリアクション①②の被害を防ぐことができるようになります。
続いて、僕のようなリアクション③の生徒についですが、生徒側が
"なんか理不尽さはあるけど、きっと自分が超えちゃいけない一線を超えちゃったんだろうな"
"殴られるのはイラつくけど、彼らなりに何かを伝えようとしているのかな"
といった、価値判断をすれば、きっと訴えたり、教育委員会にチクったり、みたいなめんどくさいことは、きっとしないはずです。
ここでは、一律に禁止することがポイントなのではなく、体罰を受けたこと自体の価値判断を生徒に委ねるというところです。
もちろん、生徒自身に価値判断を委ねるリスクもいくつもあります。
教師が、チクりやいわゆるモンスターペアレンツなどを恐れて、本来あるべき教育が実現されなくなる可能性もあります。
しかし、肉体的/精神的に深い傷を負ってから、ましてや生徒が自殺してしまってからでは、遅いのです。
中高生となれば、一定レベルの価値判断はできるはずなので、そこは彼らの考え方に任せて、防ぐべき被害を防ぐことを最優先に考えるべきです。
体罰ありがとう
上にも書いたように、僕は、体罰を受けることで、いろんな気づきを得られたし、自分の中にある"社会におけるボーダーライン"をクリアにしてきました。
思いっきり殴られた日は、たとえ悔しくても、すごくイラついても、自分の感情をコントールして、腹落ちさせて、前に進む大切さを学びました。
殴られた先生を恨んでなんかいないし、むしろいまの自分を築き上げてくれたことに感謝しています。
- 体罰を"極悪非道の振る舞い"かのように糾弾し、盲目的に体罰の全面禁止を主張するモンスターペアレンツ
- 昭和的な考え方に固執し、過度な体罰さえも、"日本人の昔ながらの熱血教師のDNAだ"と指示する、バカなおじさん
どっちもナンセンスだなーと感じます。
それじゃ問題は一向に解決されないのに、と。
問題の性質を捉えて、いま抱える課題を解決しつつも、維持するべきものは維持する、といった本質を突いたシステマチックな解決策を考えられると、問題が前進するかなと思います。
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